2017/4/13
エサ=ペッカ・サロネン R. シュトラウスの管弦楽作品について語る
今回のエサ=ペッカ・サロネン指揮/フィルハーモニア管弦楽楽団来日公演では、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と交響詩「ドン・ファン」の上演が予定されています。
[past_image 1] まず、「ツァラトゥストラはかく語りき」について作品に対するお考えをお聞かせください。
我々が「ツァラトゥストラはかく語りき」から得るもの、それは、ニーチェが提言した「自由精神」です。いかなる人間も真に自由であるべきで、そこにはその人だけの生の形があり、アイデンティティの確認が起こります。非常に深い喜び、そして深い悲しみのなかでのみ、それは可能で、よって「ツァラトゥストラ」中の恍惚の表現は強烈です。そして終盤、シュトラウスはこの楽曲に疑問符を付して締めくくりました。長い精神の旅の最後にあるのは、二重意識(アンビヴァレント・反対感情の両立状態)である、という結論です。私たちにはそのいずれが真実なのか、わからないのです。このような結びの手法を用いてシュトラウスが言いたかったことは何なのか? それは「旅は、生は、まだこの先も続いていくのであり、精神の明光に至るための学びは決して妨げられてはならない。生きているかぎり新しい何かを学び続けるのであって、もしそうしなければ、生きることそのものが意味を失うのだ。」ということです。
[past_image 2] 「音」が訴えかけるものに素直に身を委ねることが正解のようですね。それでは、「ドン・ファン」の方はいかがでしょうか、シュトラウスの初期の出世作でもあります。
いままさに「アンビヴァレント」と申し上げましたが、「ドン・ファン」の中にもその精神の状態が表現されています。楽曲中の主人公は官能の喜びを求めており、そのあくなき勝利のために生きている男です。しかしそうでありながら、彼は彼自身と戦い続けてもいるのです。シュトラウスの曲では、終盤に明確な筋書きはなく、なにかが宙に浮いたまま終わるような感じがします。そして、全編にかがやくような楽しい音があふれ、私にも指揮する喜びを存分に感じさせてくれる曲です。
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名匠が放つ閃光の響き
エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
2017年5月20日(土) 18:00開演 東京芸術劇場 コンサートホール
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op. 20
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op. 64 (ヴァイオリン:諏訪内晶子)
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R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op. 30
2017年5月21日(日) 14:00開演 横浜みなとみらいホール
<オール・ベートーヴェン・プログラム>
序曲「命名祝日」ハ長調 Op. 115
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op. 37 (ピアノ:チョ・ソンジン)
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交響曲第7番 イ長調 Op. 92
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