2015/1/6
エサ=ペッカ・サロネンに聞く Vol.2
3月にフィルハーモニア管弦楽団とともに来日する マエストロ エサ=ペッカ・サロネン。
彼のあたたかく、知性あふれるインタビュー第2弾をお届けします。
→ エサ=ペッカ・サロネンに聞く vol. 1はこちら。
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Q:目下(註:インタビューを行った12月)は作曲に専念されているとおっしゃっていましたが、指揮台に立たれるときと、ご自分の部屋で作曲をされるときとで、ご自身の状態はどのように違うのでしょうか?
E.-P. S.:演奏と作曲とは二つの異なる活動です。単純にではなく、いくつも異なった点があります。まさにその各点がヴァイス・ヴァーサ(vice versa=裏返し・VS.) です。作曲に集中しているときの私は、自分の音楽的な考えを記述する方法探しに徹しています・・・その方法とはすなわち、のちにそれを演奏する人たちの目線も考慮して、たがいに共有できるものに仕上げなければ、ということですが。そして当然ながらその同じ線上に聴衆の目線も汲み取ることになります。ですが指揮をする時というのは、自分ではないだれか=作曲家の思想を探り、それを、やはり自分以外の人々へと運搬する役割を担うわけです。段階として、まず演奏家にそれが十分に伝わるよう配慮し、結果演奏家が聴衆にそれを手渡せるように配慮するのです。作曲家が「発した」ものを指揮者が「受ける」立場とすると、この二つの作業を行うことは私の中で逆方向運動のような感じがあります。
今お話したのは理論上の違いですが、もっとわかりやすく実際にやってみるとどうか…というと、指揮するのはすごく疲れます。体力を使います。「社会的」と言葉があたるのでしょうが、濃密に人と関わるわけです。目の前に100人もの楽器奏者がいるうえに、コンサートホールには聴衆のみなさんがいらっしゃるのですから。生活のいろいろな場面の比率で考えれば、演奏会の1回1回は比較的短い時間で終了するものですけれど、そこで消耗するエネルギーは非常に大きい。インスピレーションも駆使しますし興奮状態も起こります。夕食に仲間と食べて飲んで、ワイワイして楽しみ、でも明日は明日で別の日になる…というようなもので。。。それが作曲となりますと、活動そのものはゆっくりとしたスピードで、一人きりの作業になります。私は自室にこもり、周囲からまったく孤立します。遅筆なのです。長さにして5秒分の楽譜を書くだけの日もあり、まったく進まない日もあり、もし30秒分も書けたなら、私の場合上出来です…そこまで筆が進む日はめったにないのですが(笑)。お判りいただけるでしょうか。精神がフォーカスする地点が、指揮台に立つときとは、これだけ違うのです。オーケストラ用に長い作品を書くために、1年とか2年を要することもあるのですが、まったくマラソンみたいです。指揮のほうはさしずめ100メートルダッシュですね。
Q:そうなりますと、ご自身のコンディションの調整はどのようになさるのでしょう?
E.-P. S.:とても大変なんです。まず代謝が違いますから・・・作曲中の体と、指揮するときの体とでは。うまく調整しなおすのに、時間がかかります。メンタルな話以前に、指揮するときと作曲するときとでいちばん大きく変わるのは、この、肉体のコンディションです。
Q:一方から他方に完全にスイッチするのに、何日かかりますか?
E.-P. S.:一週間ぐらいかかります。しばらく指揮活動をして、さて、作曲に戻るぞ、というとき、エネルギー放出量が上がっているのですがそれを数日間放置しないと、作曲にむけて内的な集中力が戻りません。まったくね、スポーツ選手のクールダウンみたいなものですよ(笑)。その間はなんだかまだ気分が高ぶっています。そこを過ぎないと自分の音楽のアイディアが頭の中に蘇らないですね。
Q:作曲もなさる、指揮もされる、なんと多才な! と我々が思うほど、簡単ではないのですね。
E.-P. S.:簡単ではないですが、しかし、おかげで退屈ではありません。
Q:ご自分にはそれが合っている、と?
E.-P. S.:ええ、こんなふうにして生きられるのは楽しいです。極端に違う力の使い方の、両方を味わえる人生ですから。指揮をしているあいだ、肉体的には指揮活動にエネルギーを投じながらも、私は作曲家でありつづけているわけで、つまり、頭の中には音楽的思考が持続しています。その部分が指揮台で演奏する作品への思いに繋がります。この作曲家はなにをめざしてこの曲を書いたのだろうか、どういう作曲プロセスを踏んだのだろうか・・・と。ある意味で、私は指揮台の上でほかの作曲家の辿った道筋を自分もなぞってみようとしていますね。それはむしろ「理論を」というより、彼が感じていた「フィーリング」を体感するほうに近いです…やはり指揮台に立つと自分も「パフォーマー」の感覚に近づくのでしょう、どうすれば作曲家の思考を「表現」できるか、と自然に考えていますから。その楽曲の演奏をまずは楽しむ、それは基本ですが、自分がこんなふうに演奏すると、作曲家が「こうしてくれよ」と言っていることとずれてしまうかな、とか、反対にこれなら大丈夫だな、とか、その判断を自身のパフォーマーとしての「感性」に委ねていると思います。そんなぎりぎり主観寄りの状態と客観寄りの状態の間で、バランスを取りながらの人生だろうと思います。それは、ある精神疾患の症状のように違った二面が代わる代わる現れるのではなくて、常態としてその二面がつねに自分にあり、そのバランスを見極めながら生きているのです。
Q:3月にいらっしゃる際には、「ザ・フィル」の愛称で親しまれているフィルハーモニア管弦楽団との共演ですね。このオケとは1983年にサロネンさんがまだ25歳だったときに初共演されて以来のご関係です。
E.-P. S.:ええ、ええ、じつに長いつきあいです(笑)!
Q:どのようなオーケストラなのでしょうか? 初期とつねに変わらず演奏のクオリティも一定ですか? あるいは、とくに近年、なにか変化を感ずることがあれば教えてください。
E.-P. S.:かれらは近年、過去のどんな時期に比べてもよい演奏をしていると思います。とくに若手の演奏家たちの技術の高さには目を見張るものがありますね。団員たちの考え方がオープンでフレキシブル。「こんなふうにやってみよう。」という私の提案には皆がやる気をみせてくれ、とりわけ若い世代が熱心なので活気があります。彼らを指揮するたびにその印象が強まります。でもひとつ不思議なことがあります。彼らはいったいどうやって、いくつもの世代を超えて「フィルハーモニア・スピリット」を受け継いできているんだろう、ということ。技術面の話ではなくて彼らの音楽性の芯にあるもの、じつに彼ららしい「音」、それを、どうやって伝えているのだろう?ということです。どんな伝承の方法があるのか私にはわかりませんが、このオーケストラには、そんな音の個性がしっかりと根づいています。カラヤンやフルトヴェングラー、そしてフィルハーモニアといえばなんといってもオットー・クレンペラーですが、こんな巨匠たちが世界をリードしていた時代からの音の香りが、しっかり残っているのです。「場」の持つ力なのでしょうか…年配の演奏家たちから若者が引き継ぐ音の分子とか、因子のようなもの。フィルハーモニアにはそれがあります。不思議です・・・音楽学校を出たばかりの若い楽団員は、自分の才能、環境や勉強から得たもの等、それぞれがちがうものをもって入団してくるわけですが、それほど時間をかけずにしかも自然に、オーケストラの伝統的要素を身につけてしまうのです。まったく、いつ、どうやって身につけたの?と訊きたくなりますよ。でも実際にそれが起こり、結果としてロンドンに複数ある他のオーケストラとは、異なった音の個性を持っている、それがフィルハーモニア管弦楽団です。
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Q:楽団員たちの雰囲気はいかがですか?
E.-P. S.:とても熱心で個性的な人たちですね。若いメンバーだけで構成されているユース・オーケストラなら、どこもみなそういう空気をもっているものですが、フィルハーモニアの場合はいくつかの世代にまたがっているにも関わらず、共通する遊び心があります。楽しければなにごとも苦になりませんから、リハーサルの時など定刻を過ぎてもまだやりましょう、という流れになることもよくあるんですよ。とても楽しい仕事場です。
Q:そして今回共演されるソリストは、ヴァイオリンにヒラリー・ハーンさん、ピアノはイェフィム・ブロンフマンさんです。よくご存知の間柄なのでしょうか?
E.-P. S.:心から尊敬できるお二人です。コンサート、録音の両方で、彼ら二人とはここ数年何回か顔を合わせております。ブロンフマン氏と私とは生まれ年が同じです。ある方が数えてくださったのですが、彼と私はすでに106回、一緒にコンサートをしているんだそうです(笑)。なんだか、仲の良い兄弟みたいですね。この数字は数年前に聞かされたものですから、現在更新中です(笑)。ハーンさんとも、最初にご一緒したのは10年以上前でしたし、共演のCDでグラミー賞も受賞しています。彼らのような輝かしいソリストと、しかも二人共と、ツアーで共演できるのはまさにラグジュアリーな体験です。夢のようですよ。
Q:用意してあった質問はここまでなのですが、もうひとつだけ伺いたいことを思いついてしまいました。サロネンさんはまさにいま、人間としても指揮者としても、経験を積まれしかし十分に若く、いちばん充実した時期を過ごしておいでです。そんな今、今後を見据えて、どのような指揮者に、あるいは作曲家に、音楽家に、なりたいとお思いですか?
E.-P. S.:いま、音楽が、周囲の人たちと音楽を作ることが、とても楽しいと思えます。過去に比べこの充実感は増してきています。今日までとても幸運な人生を歩んできました。巡り会ったオーケストラも、協力してくれた人々も、自分がやりたいと思うことをつねに軌道に乗せることができてきたことも、すべて含めてです。自分にとって大切だと思えたことを、得ることができた人生でした。これから私は「年をとってゆく」段階になるわけですが、それもとても幸せな局面を備えています。もう「人が自分のことをどう思うだろうか?」という心配はなくなりましたので。揺らがない足元は築けました。いえ…何かを築いたというよりは、「自分は自分であって」というところにきたというか。早い話が、もうこのさき、あんまり変わらないと思うのです(笑)。これはね、その年齢になると体感しますが、「ほっ。」と自由な気分になれます。もう、人から何を言われても気にしなくていんだ、と思えます。私はまぎれもなく、ある種の、こういう音楽家であって・・・という確信とともに落ち着きがやってきます。多くの経験もしましたので、それがまた私を助けています。若い頃は、今では当たり前になっていることを「大変だなあ。」と感じていました。具体的にはやはりオーケストラを率いて交響曲を指揮する仕事でしたね、どうやってその場のパワーバランスを整えるか、ということが、昔はとても難しかったです。でも今は方法が身についています。経験を伴ってらくになる部分はいろいろあるのです。人間そのものへの理解も格段に深まっているわけですから。それは人生の経験を通してしか学べないことですね、時間が必要です。音楽の知識だけを身につけてもだめで、オーケストラのようなヒューマン・ダイナミックスが支配する現場では、経験がものを言います。冷静な優しさを持ち、そして笑顔で、共同作業に取り組む。そうすることで、自分自身も大きな喜びを得られるのです。指揮者として、その姿勢を保ちたく思います。作曲にあたっても幸運な半生でした。作った作品が少なからぬ回数上演されていますし、現在お話をいただいている数々の企画も、著名なオーケストラやソリストに演奏していただくことを前提にしています。作曲家として真に幸福です。この充実感を失わずによく集中して、今後10年の間に自身の最高傑作と呼べる作品を仕上げたい…ええ、ぜひ仕上げたいと、考えております。
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黄金時代を迎えた巨匠&名門
エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
2015年03月04日(水) 19時開演 サントリーホール
2015年03月06日(金) 19時開演 サントリーホール
<<シベリウス生誕150周年記念>>
2015年03月08日(日) 14時開演 横浜みなとみらいホール
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